Tuesday, August 3, 2010

Singapore, Singapore


悪い癖で、Blogを作ると、作ってすぐにネグレクト。
何個Blogを亡き者としたことか・・・
と反省し、Blog更新。

今はシンガポールからブログを書いています。
6月1日夜にシンガポールに到着、翌日朝9時に入社。。。出勤、
連日の慌しさにシンガポールに居るという感覚がないのであります。
ようやく6月の下旬にマーライオンを見てきました。
ライオンの形をした噴水で、前から見るとやや微妙なのですが、ここぞ
シンガポールという場所にようやく行くことが出来ました。
マーライオンの他は、ナイトサファリ。
視力の悪い私には夜に動物を遠くから眺めるというのは至難の業でしたが、
檻の無い動物園というコンセプトはいたく気に入りました。

Wednesday, April 14, 2010

My Darling is a Foreigner 映画「ダーリンは外国人」

漫画家さおりとハンガリー系アメリカ人トニーの日常的なギャップを書いた漫画「ダーリンは外国人」待望の映画化。
国際カップルのならではの難しさと喜び、そして人間であるという変わらない共通項、話し・聞き・理解する・ということの簡単ながら実はできていない日常を、二人のギャップを交えてうまく表現されていると思っております。はい。



 ただ、とてもマイナーな批判としては、話がほのぼのと成立するのはトニーさんがアメリカから来た「白人」さんであるところが大きいんじゃないかと。日本では「外国人」に対する距離感と同時に、その外国人の中にもランク付けのようなものがあるのではないかと思われたりします。悲しいことですが。

 白人が日本に来て、日本語が話せず英語しか話さない場合は、話せないこちらが恥ずかしく思う一報で、アメリカやヨーロッパ以外の他の国からの人が日本語を話せないと「日本に来たのになぜ日本語はなせないのか」という具合に態度が変わる状況を残念ながら目撃したりしてます。
 英語圏からの人は結構許されてしまうのですね~。もちろん、中学校から第二外国語として英語を学んでいるのにしゃべれない人が多い日本ではそう思ってしまうのかもしれません。

 言葉についてはさておき、一例として・・・米軍基地の周辺ではアメリカ軍人さんの公共の場でのマナーの悪さが時に目立ちます(もちろんいつもじゃないですよ!)。
だれも注意することができません(- -;)。電車の中で携帯でしゃべる(私はあまり気にしませんが。)、酔っ払って、周りの人に迷惑をかける(こういう場合は自分より、1.5倍大きい米軍さんに注意をしないといけません、皆見てみぬふり)
 あるときにアジアからの旅行者が公共のマナーを守ることができなかったとき(注意の表示が日本語でした!)に、日本の若者が喧嘩口調でそのアジア人にくってかかっていたのを見たりしました。同じマナー違反をした場合、日本人の両者に対する態度が違います。このあたりは、日本の歴史やアイデンティティ、羞恥の概念および、他国との関係等にリアクションの原因を探ってみるべきだと思います。

 閑話休題。
原作の漫画は好きです。映画で認知度が広がり、自分と異なる背景のある人を受け入れることへの寛容性の喚起に繋がればいいなぁと。また、外国人=「英語を話す」「白人」というイメージから、もっと広く海外から訪れた人たちを見ることができたらいいのではないかと思いました。

最後に白状しましょう、私の彼も外国人です。はい。

Tuesday, September 29, 2009

Unexpected?? disaster

 先日まで忙しくマリキナ市、ケソン市の上空を飛んでいたヘリコプターの台数は減り、状況は落ち着いたかに見えるが、ここメトロマニラの状況は引き続き厳しい状況。

 9月26日土曜日に集中的な雨がもたらした被害は、予想をはるかに超えたものでした。ここ数十年来最悪の被害をもたらし、現時点で犠牲者は246人、被害額は約90億円(Yahoo News. Sep 30th. 2009)との発表。しかし、更に正確にカウントできない避難民の数は多く、避難所の生活を余儀なくされています。
著者は2006年の10月にマニラに直撃した台風を経験しているものの、ここまでの洪水は経験していませんでした。

 金曜日から降り始めた雨はやむ気配がなく、降り続けました。この時期によくある雨、台風とおもっており、さほど気にもしておりませんでした。午後の2時ごろ、自宅が停電。集中的な降雨のあとにあるパターン。ああ、いつものことかと思っていたら、家の前の坂道の傾斜しているところまで水が押し寄せており、びっくり。尋常ではない様子に驚きつつも、その坂道以外に住宅地の外に出る道はなく、水かさが増していくその道を見守り続ける以外に選択肢はない。雨は小降りになったものの夜の9-10時ぐらいまで水は増え続ける。いったいこの水はどこからやってきたのかと思うくらい、降る量と増える量が一致せず・・・坂の下ったところにある家々は一階部分が全て浸水という状況。近所の人々の安否がきになる。

日曜日には雨はやみ、ようやく孤立した住宅街から抜け出し、入手した新聞を読み、近隣の状況から予想は出来たものの、愕然。ローカルメディアのみならずCNNやBBCもこぞってこの惨状を伝えていました。
日本のニュースは一国の都市機能が麻痺し多くの死傷者を出しているにも関わらず、あるインターネットのニュースでは、アロヨ政権の続投がこの被害によって危うくなるとの報道。この感覚のずれにがっくりしました。

現在、水は引いたものの堆積した泥、そして数日続いた晴天が、泥を局所的に乾かし、街中その埃が舞い、埃と泥だらけ。マスクがほしい。。。
学校は今週一杯休校。大学構内では各地から集まってきた支援品の仕分けにボランティアが精を出している。大量の救援物資。支援がほしい人のニーズに適っているだろうか、と聞くと人それぞれの回答が。

これは、人災。
もちろん台風はマニラに直撃したが、この大規模な洪水を引き起こした直接の原因はダムの決壊を恐れての一斉放水。しかも数箇所のダムをいっせいに。と、言葉を失う。
どうりで雨が小降りになったあと水量が増加したか、のちのちになって知ることに。

いったいいつになったら正常な状況に戻るのか。そして、この教訓から何を学んだのか。

Thursday, August 6, 2009

Wake of Cory-国民から愛されたアキノ元大統領-

 8月5日、ここフィリピンでは民主化の英雄、アキノ元大統領の葬儀のため、国民的な休日となった。
葬儀の前の数日間は、弔問者のために数日間、オープンとなっておりました。
 私、KoalaBearは敬愛する元大統領を一目・・・と遺体が安置されている、マニラ大聖堂へ8月4日の夜に向うことに。その日はWake(日本でいうところの御通夜)最終日でした。
 現地に着くと、土砂降りの雨にも関わらず、恐らく全国各地から訪れた人たちが元大統領の姿を一目見ようと最後尾がどこなのか分からない長蛇の列。・・・本当に、国民から慕われ、敬愛されていた大統領であったのだと、実感した。もちろん、アキノ政権は問題を多く抱えていたのだが。。。
感傷的な思いはともかく、とにかく並ばないことにはここへき た目的が果たされない。列の最後尾をまず、見つけるところからはじめ、そして並び始める。到着から20分ほど経過。
そのころ雨はいったん小降りになる。ひとまず、胸をなでおろした。なぜならその時点ではこの列がどれほど長いのか検討が付かなかったため、雨が降り、傘をさすなどして無駄にエネルギーを消耗することを避けたいと思われたからである。
 日本でいうところの御通夜であるにも関わらず、並ぶ人たちからは明るく、長蛇の列を、そしてそこに並ぶ彼らの写真をとる姿が目立った。以前にこちらで友人の親族の葬儀に参加した経験があるため、日本の葬儀・通夜とはまったく趣の異なる死者の弔いにそれほど驚きはしないものの、生死観の違いなどを再度考えさせられた。
どこまで続くともしれない列に並び続けること1時間。その時点でもしかしたら、この列はとてつもなく長いものになるかもしれないと予感。なぜかというと、イントラムロスというスペイン時代の地区にマニラ大聖堂は位置しているが、一度その前を列に並びながら通り過ぎたが一向に近づく気配を感じなかったためである。そのころから雨も強く降り始める。皆いっせいに傘をさしはじめる。また、大きな傘を売り歩くお兄さんたちの姿も目立つようになる。皆、押し合いへしあい、列に並ぶため前後の人が傘をさすとその雨だれが傘を伝って落ちてくる。傘をさせない状態でなおかつ必要以上に濡れる状態が、数時間続くことになる。ああ…
並んでいる最中の横入り、それに対して叫ぶひとびと、強くなる雨、現場は一気に緊張状態を増すこととなる。初めのピクニック気分はどこにいったのやら・・・
 列は前進する。くるぶしまで漬かる水溜りやイントラムロス内のさまざまな政府系のオフィスや歴史的建物を通り抜けて進み、とまり、そしてまた進む。途中でお菓子を配る人たちに出会う。並んでいる人たちへの慰労の意味合いがあると聞く。私は外国人なので、そんなことは知らず目の前に差し出されるお菓子を受け取らずにいると、右から左から手が伸びてきてそのお菓子を掻っ攫っていく。そのお菓子配りのおじさんはどうしても私にお菓子を上げたかったらしく、再度私の前に一掴みのクラッカーを差し出す。ようやく、意味が分かり御礼をいい受け取る。ありがとう、おじさん。その時点ですでに3-4時間の経過。雨は強くなり、また弱くなり、そして強くなる。それを繰り返していた。
列に並ぶ途中で、アキノ元大統領への訪問は朝方の4時までしか受け付けられていないと聞く。それはアキノ元大統領の遺族の意向だとのこと。その時点ですでに、朝の2時。頭から足先までずぶぬれ、どうなるのだろうと思いながらも待ち続ける。そして、朝の3時45分、大聖堂に入ることが出来た。4時前のぎりぎりの時間である。
アキノ元大統領の訪問はわずか、お棺を通り過ぎる2-3秒。その瞬間を5時間雨の中待ち続けた間に考え、思った彼女の人生とこの国の未来が頭をよぎった。
 身体に残る疲労感はなかなか癒えないものの、歴史を開いた一人の英雄の生と死が与えた意味はとてつもなく大きかったと感じた。